探検と登山の記録

探検と登山の記録

―ヒマラヤの奥をめざして―

上高地から焼岳へ

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中尾峠からガスにけむる焼岳をのぞむ(かえり)

 2019 年 8 月 16 日から 17 日,わたしは家族旅行で上高地をおとずれた。せっかくだから山にゆこうとかんがえて,日がえりできる焼岳にひとりでのぼった。前日までの台風の影響で,天気はおもわしくなかったが,植物や岩石など,みちすがら目をたのしませるものがあった。

 ひさしぶりに紀行文をかいてみようとおもいたって,できあがったのがこの文章である。

 

  * * *

 

 上高地―焼岳小屋―中尾峠―焼岳北峰―中尾峠―焼岳小屋―上高地

 

 月 17 日の午前 5 時すぎ,わたしは西糸屋山荘をでた。もう日の出の時刻だ。しかし,山やまにかこまれた上高地には,日の光はまださしてこない。うすぐらい木だちのなかを,登山口へむかう。ときどき,早朝の散歩にでてきたひとにであう。おたがいにあいさつをかわす。

 きのうみた河童橋のさわがしさは,なんだったんだろう。おおぜいの観光客がバスにのせられて,上高地にはこばれてくる。いたるところ,ひとばかりだ。都会の雑踏が,飛驒山脈のどてっぱらに穴をあけて,ここまで延長しているのである。山をみにきたのか,ひとをみにきたのか,わかったものではない。

 ひっそりとした朝の光景をみて,わたしははじめて満足する。梓川の川面がぼおっと反射する。ふりかえると,穂高明神岳と六百山のあいだから,日の光がさしはじめている。奥穂・西穂は,雲のなかだ。

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朝日がさしはじめた梓川のほとり

 ウェストン碑をすぎると,穂高の登山口,まもなく焼岳の登山口につく。おそろしく足のはやいおじさんが,うしろからおいこしていって,すぐみえなくなった。夏緑樹林のなか,ササのあいだのみちをはいってゆく。ごろごろと石がころがっている。なだらかな斜面で,のぼっているのかどうかわからないほどだ。それでも,あるいていると,あつくなってくる。

 2 メートルくらいのハシゴがあらわれた。傾斜がきつくなる。山らしくなってきた。高度をかせいでゆくと,左手に谷がひらけた。峠沢だ。森林におおわれた扇状の斜面がえぐりとられて,V 字の谷になっている。崖面にあらわになった土は,うっすらと赤みをおびている。

 みじかい桟道をわたる。樹林帯をぬけた。梓川の谷のむこうに,霞沢岳・六百山がそびえる。きりたった稜線とあつい雲のすきまから,いくすじもの日光がさしこむ。正面にみえるはずの焼岳山頂は,ガスにつつまれている。右手の山はだには,巨岩がつらなる。

 すうっと青くさいにおいがする。みちのわきにセリ科植物が群生している。たいていの植物をみても,科名や属名をいいあてることはできないけれど,これはにおいと葉のかたちでわかる。どちらもセロリににている。

 たかいハシゴだ。岩をのりこすために,3 段のハシゴがかけられている。7, 8 メートルはあるだろうか。慎重にのぼる。こんどは,ごくみじかいクサリ場だ。ここをこえれば,もう焼岳小屋はちかい。

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たかいハシゴ

 ササの群生のなかをつづらおりにのぼる。背のたかい木はなくなった。雷にうたれて炭化した木が 本,幹だけのこしてたっている。峠にさしかかる。いよいよ霧はふかい。針葉樹の林をぬけると,焼岳小屋についた。

 小屋は,峠道のせまい平地にたっている。おおきな岩に戸をむけて,背後はすぐ林である。小屋のちかくのあき地で,ひとりのおじさんが朝食をつくっている。わたしも,ここで朝食をとることにする。宿でつくってもらった弁当をひろげる。午前 時。予定より 40 分はやい。「とちゅうで,おいこしていってくださいよ」といって,おじさんはひと足はやく出発した。

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焼岳小屋

 ヘルメットをかりて,時半,小屋をあとにする。100 メートルさきもみえない濃霧である。稜線をのぼって,またくだると,中尾峠だ。石舞台古墳みたいなおおきな岩がコルのまんなかに鎮座している。ときおり,硫黄のにおいが風にはこばれてくる。

 ここから山頂までは,一直線にのぼるだけだ。ほんとなら,すぐ目のまえに焼岳主峰の巨大な溶岩ドームがみえるはずだ。ざんねんなことに,まっしろいガスがなにもかも,かくしてしまっている。

 灌木の林をぬけると,岩と砂の斜面がつづく。岩はだに硫黄の結晶があらわれている。白,黄,赤,黒のまじった,ふくざつな模様である。岩ばかりの土地でも植物はそだつけれど,硫黄のふきかたまったあたりには,なにもはえない。岩と砂と草のモザイクが山をおおう。この多様な色彩を「五色の着物」と,深田久弥は表現している。

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火山の噴出物

  時 20 分,山頂直下に達する。さっき小屋であったおじさんがやすんでいる。いよいよ最後ののぼりだ。時 27 分,焼岳北峰。標高 2444.3 メートル。山頂のまわりは,ややなだらかな土の斜面である。すでに 30 人ちかい登山者がいる。みんな,霧がはれるのをまっているのだろうか。火口湖も,焼岳南峰も,ふかいガスの奥にかくされている。すこしさきの岩影さえかすんでみえる。時までまつことにしよう。それでだめなら,下山する。

 10 分くらいたった。景色がぼんやりとあかるくなる。日光のあたたかさを感じる。はれるのだろうか。しかし,ふたたび霧はふかくなり,太陽をとおざけてしまった。

 9 時をすぎた。視界はひらけそうにない。心のこりだが,山をおりよう。

 焼岳小屋へむかってくだりはじめると,山頂はすぐガスにかくれた。ゆく手の斜面をはうように霧がながれる。なん組ものひとたちがのぼってくる。人影がしろくかすむ。

 中尾峠がみえてきた。霧ははれはじめている。眼下に上高地の谷がひろがる。梓川が湿地帯を蛇行する。霞沢岳は頭を雲にうずめている。穂高連峰ははるか前方の,霧のむこうだ。

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中尾峠の手まえで上高地がみえた

 峠から小屋までのあいだで,おもしろいものをみた。みちのすぐそばに,通気口みたいなふたつの穴があいている。そこから,なまあたたかい湯気がふきだしている。ちいさな噴気孔だ。

 もう焼岳小屋はすぐそこである。上高地まではあと 時間半ほどだろう。ふりかえった焼岳山頂は,まだ雲のなかにあった。

 

(2019 年 8 月 30 日)