探検と登山の記録

探検と登山の記録

―ヒマラヤの奥をめざして―

ブータン自動車横断旅行 (1) 入国

パロの谷

 ドゥルック・エア153便は,しだいに高度をおとして,着陸態勢にはいった。

 雲のきれまから青あおとした山はだがせまる。山腹をぬうように,土色のみちがはしる。家だ。切妻屋根の白壁の家だ。わたしは,なんとかして写真をとろうとこころみる。飛行機はすぐまた雲のなかに突入する。

 ガクンとひとゆれすると,そこはパロの空港だった。ほそながい盆地の底に滑走路がのびる。さっき飛行機からみえたような家いえが山すそにちらばる。山やまの中腹を雲がとりまく。午前7時30分。日ざしはつよい。

 飛行機のタラップをおりて,わたしはすこしのあいだたちどまる。パロの谷をながめる。谷をかこむ山やまは,そうたかくない。この谷で標高2300メートルだから,この山なみも3000メートルくらいはあるだろう。それにしては,あまりになだらかである。京都盆地からみた大文字山か,せいぜい比叡山くらいなものだ。ブータンは急峻なヒマラヤの国だとおもっていたが,これはどうもちがったようだ。

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滑走路からみたパロ・ゾン

 こだかい丘のうえに,いちだんとおおきなブータン建築がみえる。パロ・ゾンだ。ゾンというのは,寺院と役所とをかねた城塞のことである。いくつもの窓があいた白い城壁のうえに,くすんだ赤の屋根がのっかっていて,その城壁にかこまれたあいだから,五重塔みたいな建物が空につきだしている。わたしは,ガイドブックの写真でみたラサのポタラ宮をおもいおこす。

 空港のターミナル・ビルも,りっぱなブータン風の建物だった。わたしたちは,ここでガイドのカルマ・ギェルツェンさんらのでむかえをうける。カルマさんとドライバーたちはみんな,着ものによくにた服をきている。ブータンの伝統衣装ゴだという。わたしたちは,ひとりひとり,マフラー大のうすくて白い布を手わたされる。吉祥の文様がおりこまれたうつくしい布である。この布をわたすのは,客人をむかえるときのしきたりらしい。

 カルマさんは,おおきな腹をかかえた背のひくいひとだ。その体型からはちょっと想像もできないことだが,かれはエベレストに登頂した経験をもつという。わたしたちはこれから2週間,カルマさんたちのせわになる。

 わたしたちはまず,空港のそばのティー・ハウスのテラスに陣どる。ミルクティーとビスケットの軽食をとりながら,これからの旅についてうちあわせをする。 

旅の目的

 わたしたちというのは,京都大学からきたスタディー・ツアーの一行である。そのメンバーは,東南アジア地域研究研究所の安藤和雄教授,坂本龍太准教授,赤松芳郎助教ミャンマーのパーン大学のミン・ティダ教授,京都大学医学研究科院生の平山さん,それにいろんな学部の学生12人である。

 この旅の目的は,東ブータンの農村をたずねて,離農問題・過疎問題についてかんがえることである。そんな問題が,いまブータンでおこっているのか。おこっている。それも,きわめてはやいペースで進行している。離農や過疎というと,わたしたちは日本国内の,しかも僻地だけの問題としてみてしまいがちだ。けれども,いまや,これらの問題はもっと普遍的な,世界的な規模のものになりつつある。ブータンでも,農村の耕作地が放棄されて,人口が都会にながれこむ現象があらわれはじめているというのだ。

 安藤さんは,海外ではバングラデシュミャンマーブータン,日本では京都,滋賀を中心とした地域で,実践型地域研究をすすめてきたひとだ。これまでなん年にもわたって,日本とブータンで,学生を対象にしたフィールドワーク・セミナーをつづけてきた。

 ことしの夏も,安藤さんたちは,京都府宮津や美山でセミナーをひらいた。そのさい,ブータンから数名のひとたちを京都にまねいた。東ブータンの農村地域にすむひとたち,ブータン王立大学シェラブツェ・カレッジの学生たちが日本にやってきた。わたしはそちらのセミナーには参加していないから,くわしいことはしらないけれど,そこでもさまざまな農業問題にとりくんだらしい。ブータンの村びとのひとりは,日本でえた知識をもとに,さっそく有機農法をはじめたという。

 わたしたちの旅は,9月16日から28日までの2週間の予定である。目的地はブータンの東端,タシガン県だ。そこにはシェラブツェ・カレッジがある。そして,カルマさんの故郷の村バルツァムがある。タシガンまでは,山みちを車で3日間はしる。そこに滞在するのは,実質4日間だけである。みじかい日数のなかで,いろんなことをする。シェラブツェ・カレッジでは学生交流行事をやる。ちかくの小学校をたずねる。カンルン村の診療所,役所,寺にゆく。ヨーグルト工場を見学する。それからバルツァム村に移動する。そこでも役所にいったり,小学校にいったりする。村ではフィールドワークもするということだ。 

出 発

 さあ,いよいよ出発だ。3台のインド車ボレロにわかれてのりこむ。おおきな荷物をはこぶためのピックアップ・トラック1台,それに保健省の日産パトロールもついてくる。

 パロ空港をあとにして,ティンプーへむかう。道路は,ひろい谷にそうて,ゆるやかなカーブをえがく。谷底をパロ・チュ(川)がながれる。谷あいの平地には水田がひろがる。まだ稲穂はあおい。民家は,川からはなれた山すそに点在している。どれもブータン式の建築だ。わたしは,すっかりうれしくなる。

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山すそに民家がならぶ

 みんな元気のようだ。助手席にのった堀本君は,しきりに運転手のワンチュック・ドルジさんにはなしかける。いまみえた建物はなんというのかときいたり,ゾンカ語(ブータンの国語)のいいまわしをたずねたりする。

 いまひとつみなれないのは,自動車道路のうえをウシやウマ,イヌが闊歩していることである。闊歩しているのならいいけれど,なかには道路のまんまかにすわりこんでいるのもいる。ことにイヌが路上で昼寝をしているのをよくみかける。まったく無防備なものであるが,ドライバーは,ねそべった犬をよけてとおる。

 すれちがう車はそこそこの数がある。ダンプカーはたいていはでにかざりたてられている。極彩色の装飾にくわえて,ボンネットにはふたつの目がえがかれている。

 みちぞいに,ぽつぽつと露店がある。屋根のついた停留所みたいなのもあれば,ただ品物をひろげただけの場所もある。たいていは,なんにんかのおばさんたちが野菜とくだものをうっている。

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パロからティンプー

 パロ・チュとティンプー・チュの合流地点にさしかかる。ワンチュックさんは「チュゾム!」とおしえてくれる。川の合流地点には,3基の仏塔がたっている。

 だんだん街にちかづいてきた。交通量がおおくなる。ティンプーは,ティンプー・チュの谷にそうた南北にほそながい街である。

 ティンプーの市街地は,どんどん南に拡大しているという。街は建設ラッシュのさなかにある。4, 5階だての建物がたちならぶ。ビル自体は鉄筋コンクリートづくりだが,屋根や窓の装飾はブータン風のデザインである。建設現場では,竹でうまいぐあいに足場をくんでいる。はたらいているのは,はだのあさぐろいひとたちだ。たぶんインド系だろう。

 街をみおろす高台に巨大な仏像がある。金ぴかの仏さまである。シンガポールと香港の億万長者が寄進したものだという。

ティンプーの日本人

 はじめに,わたしたちはブータン王立大学の本部にむかう。副学長を表敬訪問するということだ。大学についてみると,しかし,いまはいそがしくて面会できない,という。

 つづいてJICAの事務所をおとずれる。所長の渡部晃三氏におあいする。渡部さんは,ことしの3月からブータンで仕事をしている。そのまえは,ベトナムカンボジアに3年ずついたそうだ。わたしたちは,JICAの活動について,渡部さんから説明をきく。

 話のあとで,わたしたちはさまざまに質問する。ブータンでは田畑の区画整理はされているのか。ブータンに地籍図はあるのか。ブータンの教育はなにをめざしているのか。ブータン人は国王のことをどうおもっているのか。そんなにかんたんにはこたえられない質問がおおい。渡部さんには,ごめいわくをかけたかもしれない。

 午後,わたしたちはかいものにでかける。まずは,ゴとキラをかいにゆく。ゴは男ものの,キラは女ものの衣装である。ホテルのちかくの呉服屋にゆく。赤,だいだい色,茶色,黄色,青,むらさきにそめられた糸の束が店だなの一角をうめる。できあいのゴとキラもたくさんある。わたしたちは,そのなかから気にいった柄のをえらぶ。

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呉服屋の棚にはゴ・キラがうずたかくつまれている

 わたしははじめ,伝統的なスタイルのゴがほしいといった。店のおばちゃんがえらんでくれたのは,だいだい色と金色の糸で織られたものだった。ドライバーに着つけをてつだってもらった。これはちょっとちがう。やはりはですぎる。まわりは口ぐちに,チベットのえらい坊さんみたいだとかいうけれど,けっきょく,もっと地味な,赤茶のチェック柄のゴをえらんだ。

 かったばかりのゴとキラをきて,とおりをあるく。このあたりはティンプーの目ぬきどおりである。ジェネラル・ショップや飲食店・衣料品店・みやげもの屋が軒をあらそう。市内にたぶん1カ所しかない「信号」もここにある。交差点の中央にあずまやふうのボックスがあって,警察官が手信号で交通整理をしている。ひとどおりはおおい。ひと目でブータン人とわかるひとのほかに,インド人らしい顔だちのひともけっこういる。西洋人と中国人もみかけた。

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ティンプーの大どおり

 わたしたちのゴ・キラの着こなしは,こなれない。わたしは,ブータン人にどうみられているのか気になる。その土地のひとびとからすれば,なじみぶかい文化を異質的な人間が身にまとっているわけである。日本にきた外国人が,にわか仕たての着ものすたで,四条河原町あたりをあるいているようなものだろうか。

ひとりたりない

 みやげもの屋によったあと,モバイル・ショップでSIMカードを購入して,ホテルにかえった。連絡がつきしだい,もう一ど王立大学にゆくという。それまで部屋で待機する。

 とはいっても,手もちぶさただから,ちょっとそこまでひとりででかけることにした。これがまちがいだった。しばらくあたりを散歩してかえってきてみると,だれもいなくなっていた。

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ある窓の風景

 だいぶたってから,みんながかえってきた。わたしが外出していたちょっとのあいだに,王立大学にむかってホテルを出発していたという。大学についたとき,ひとりたりないことに気づいた。12人もいれば,ひとりくらいいなくたってわからないものだ。

 じつをいうと,わたしはけっこうショックをうけている。そんなかんたんにわすれられていたのか。でかけるまえに,だれかにひとこと,つたえておくべきだった。しかし,ひとり部屋だから,つたえる相手もいない。それとも,でかけること自体がまちがいだったのか。

 わたしは,夕食にすこしおくれてゆく。お客さんがふたりきている。安藤さんが紹介する。ふたりは,タシガン県の元知事と元保健局長である。かれらは,安藤さんの友人であり,日本の宮津にきたこともある。元知事は,ダショーに叙されている。ダショーは,ブータン爵位である。

 ダショーがあいさつをする。

「わたしは,県知事をつとめたあと,地方行政の官僚になった。数年まえにその役職をやめて,選挙に立候補した。ところが落選した」

 これが,かれの自己紹介である。そして,いまは引退生活をおくっている,という。

 ダショーは,ブータンの保健制度について説明をはじめる。元保健局長の話もあいだにはいる。ブータンでは,医療費はすべてただである。調子がわるくなれば,まず村ごとの診療所にゆく。ちいさな診療所で手におえなければ地方の病院へ,それでだめならおおきな拠点病院,それからティンプー,そしてタイのバンコクやインドの都市の病院におくられる。これはすべて無料である。質問がでる。ブータンと日本の保健制度を比較して,あなたはどうかんがえるか。ブータンの財政は,国際的な援助なしでなりたつのか。ダショーは,ふたたびながい演説をはじめる。

 あとで安藤さんにきいたところでは,今夜のダショーの話はくりかえしがおおかったらしい。ほんとのところ,わたしはながい話の3割くらいしか理解していなかった。

(つづく) 

 

初出 京都大学探検部編『探検報 2019』pp.13-29