探検と登山の記録

探検と登山の記録

―ヒマラヤの奥をめざして―

ブータン自動車横断旅行 (2) 西から東へ

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ティンプーをあとにする

ドチュ・ラ

 あくる朝,ティンプーを出発して,トンサへむかう。

 ティンプーの街をぬけると,みちはのぼり坂になる。20分ほどはしると,チェック・ポイントがあらわれた。カルマさんが手つづきをしているあいだ,わたしたちは車からおりて,みちばたの露店をみにいった。うりものは,リンゴ,ナシ,落花生,トウガラシ,乾燥くだもの,乾燥チーズなどである。ほしたナシをかった。にぎりこぶしほどのひと袋で150ニュルタムだった。

 ドチュ・ラ(峠)についた。峠はなだらかな稜線上にある。標高3150メートルのこの峠は,ティンプー,プナカ,ワンディ・ポダンの三つの県をへだてている。はれていたなら,はるか北に7000メートル級のブータン・ヒマラヤのすがたをみたはずだった。おしいことに,峠の北東は霧にかくされている。

 たくさんのチョルテン(仏塔)が墳丘のうえにたちならんでいる。これは,先代の国王の王妃が建立したものだという。2003年,インドとの国境地帯で反政府ゲリラとの紛争がおこった。そのとき,国王はみずから軍隊をひきいてゲリラを撤退させた。これらのチョルテンは,その勝利を記念しているということだ。数は108ある。

 

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ドチュ・ラのチョルテン

 わたしたちは,峠のはしっこにおおきなつぼ状の香炉をみつける。サンブン(注)とよばれるものらしい。台座のうえに,たき口のあいた白いつぼがあり,どんぐり型の突起がついたふたがのっかっている。

 安藤さんがいう。ここでいちばん観察すべきところは,まわりにちらばっている枝と葉だ。これをみれば,なにをもやしているのか一目りょうぜんだ。こういう炉でもやすのはマツやヒノキだと一般にいわれるけれど,ここではシャクナゲをもやした跡がある。こうした実際のことは,地元のひとにきいても,こたえてはくれない。まず目にみえることを丹念に観察することが必要なんだ。

 わたしは反省する。わたしのフィールドノートの内容は,ひとからきいた話ばかりで,自分で観察したことはあまりない。わたしは聴覚にたよりすぎている。フィールド・サイエンスをこころざすなら,まず自分でみたことをいちばんに信頼しならなければいけないのだ。

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サンブン(香炉)

(注)フィールドノートの記録では「サンブン」となっているが,帰国後いくつかの情報源でたしかめたところ,「サンタブ」としている例もみつかった。「サンブン」というよびかたもただしい。

ヒンドゥーのまつり

 峠から一気にくだってゆくと,盆地がひらけた。ひろくなだらかな斜面に田がひろがる。道路は山すそをはしる。道路ぞいに民家や店がならぶ。わたしたちは,車をとめて1軒の食堂にはいる。おそめの朝食で,ラーメンをたべる。

 とおりの反対側から,大音響のインド音楽がながれてくる。おまつりをやっている。ヒンドゥーのおまつりだという。おおきなテントのなかでやっている。わたしたちは,なかにいれてもらう。奥には祭壇があって,色とりどりの風船や菓子がそなえてある。司祭はベンガル人だ。わたしたちはみんな,額に赤い印をつけてもらう。ティカというヒンドゥーの宗教的な印である。おまいりがすむと,皿にのせた菓子をくれた。インド風のスナック菓子とペースト状のあまい米などである。

 きいたところでは,これは車のまつりだという。わたしたちがご飯をたべているあいだに,ドライバーたちもおまいりをしていた。わたしたちの車のフロントは,ピンク・青・黄の水玉もようの風船でかざりつけられている。交通安全のおまもりだろうか。かえって運転のじゃまじゃなかろうか。

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ヒンドゥーの自動車のまつり

 もう正午にちかい。30分ほど北へむかってはしる。

 まもなく川の合流点がみえてきた。対岸にプナカ・ゾンがあらわれる。白い城壁にかこまれた三つの塔。なん層もの赤い屋根。プナカ・ゾンは三方を川にかこまれ,山を背にした城塞である。わたしたちは,川べりの高台にたって,この風景をながめる。二つの川はポ・チュとモ・チュという。男川,女川という意味だそうだ。

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プナカ・ゾン

 時間がない。もう出発だ。南にむかってひきかえす。バジョの町にはいる。ところが幹線道路は通行どめだ。舗装工事のさいちゅうだという。川ぞいの未舗装のみちに迂回することになる。

 交差点に警察のトラックがいる。あのトラックも,ヒンドゥーのおまつりで祝福をうけてきたにちがいない。パステル・カラーの風船がフロント・ガラスの枠にくくってある。運転手は,いかめしい警察官である。なんだか不つりあいな印象に,わたしはおかしみを感じる。だれかがボレロの窓から手をふった。警察官はほほえんだ。

西から東へ

 ワンディ・ポダンの盆地をあとにする。道路は東にむかって高度をあげてゆく。

 わたしたちは,ブータンを東西にわける山岳地帯にわけいりつつある。谷そこの急流は,しぶきをあげながら,灰白色ににごる。黒ぐろとした山やまが,ゆくてに屏風のようにつらなる。

 ときどき山の中腹にひらけた土地がみえる。こんな山奥にも,ひとがすんでいる。いくえにも棚田がかさなる。斜面のいちばん上には家がある。たいていは1軒だけだが,2,3軒がかたまっていることもある。あの棚田をぜんぶ自力でつくったんだろうか。

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急斜面にも家と棚田がある

 このあたりの植生は,パロやティンプーの乾燥した谷とはちがう。こんもりとしげった照葉樹の森である。わたしたちは,この森の景観をみなれている。照葉樹林帯は,ヒマラヤ山脈の中腹を西の端として,数千キロもはなれた西南日本までつづいているのである。あの中尾佐助氏は,照葉樹林帯に共通する文化要素を発見して,照葉樹林文化論をとなえたのだった。

 みちのわきに露店がある。わたしたちは車をとめる。ふとい木の枝を柱にした,ほったて小屋を屋台にして,ふたりのちいさな女の子がカキをうっている。値段は法外にやすい。

 山はますますたかくなる。雲が山をめぐる。霧は谷をとざす。数軒の家がかたまった集落で,チャブサン(トイレ)休憩をとる。紅藤色の丸みをおびた花をつけた草が土手に群生している。野生のソバだという。

 高度があがるにつれて,照葉樹林はすがたをけした。山は針葉樹林におおわれる。ペレ・ラはもうすぐだ。安藤さんは助手席の窓から前方をゆびさす。ウシがいる。ゆっくり道をあるいている。おおきな角をもった黒いウシだ。わたしたちの車は,あっというまにウシをおいこしてゆく。あのウシは,ふつうのウシとミタン牛の交雑種だそうだ。

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ウシとミタン牛の交雑種

 車はなだらかなコルをこえる。これがペレ・ラか。標高3360メートル。この峠をさかいにして,ブータンは東西にわかれる。それにしては,あまりにあっけない。わたしたちは,ここでは停車せず,さきをいそぐ。

 峠の西と東では,天気がちがうようだ。視界をとざしていた霧は,すっかりはれた。なだらかな谷がひろがる。うすく黄色をおびた緑,あるいはふかい草色の畑が斜面にパッチワークをつくる。わたしたちは,ある畑のまえで車をおりる。畑では3人の女のひとが刈りとりをしている。これはなんの畑だろう。うわっているのはキャベツだ。しかし,キャベツのあいだには雑草がおいしげっている。ちかづいてみてみると,それは野生ソバだった。かの女らが刈りとっているのは,このソバである。たべるのか。いや,ウシのえさにするらしい。

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キャベツと野生ソバの畑

 車で10分くらいはしったところで食堂にはいる。ブータン風のやき飯をたべる。午後3時半。おそい昼食である。きょうの宿泊地トンサまでは,まだとおい。トンサにつくころには,すっかりくらくなっていることだろう。

 あまりよりみちばかりしていられない。とはいいつつ,出発してまもなく停車する。チェンデジ・チョルテンという巨大な仏塔をみる。塔の四方に目がついている。カトマンズにある仏塔ににている。このかたちの仏塔は,これまであまりみたことがない。ドチュ・ラのチョルテンは,お堂みたいなかたちのものだった。

 夕ぐれがちかづいてきた。谷のむかいにトンサ・ゾンがすがたをあらわした。吉田君が車をとめてくれとたのむ。ここまでの旅行で,かれはゾンに対してたいへんな関心をしめている。わたしはかれの熱心さに脱帽する。トンサ・ゾンは,そのながい城壁を尾根のうえによこたえている。黒い山なみのなかで,白壁のゾンはきわだってみえる。

 午後6時20分,トンサの宿にはいる。山小屋ふうのいい宿だった。

高原の旅

 9月18日の朝,わたしは5時におきだす。けさはゾンをみにゆこうと,ゆうべ相談してきめたのだった。ほんの2,3人でゆくつもりだったのだけれど,けっこうの人数があつまった。まだ外はあかるみはじめたばかりだ。トンサの町はしずまっている。

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トンサの朝

 家いえのあいだをぬけて階段をおりてゆくと,まもなく巨大なゾンがその全容をあらわす。屋根つき橋をわたって,ゾンの入り口につく。あまり時間がないから,そとからながめるだけだ。しかし,城壁にならんだ窓の装飾ひとつをとっても,見ごたえがあった。ふりかえると,トンサの町は朝もやのなかにある。

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トンサ・ゾン

 朝食をすませて,8時まえに出発する。

 トンサのあたりの山は,一面の照葉樹林におおわれている。1時間もはしると,景色は針葉樹林にかわった。赤松さんの説明によると,ここでみられるマツはヒマラヤゴヨウだ。ブルー・パインともよばれる。標高2500〜3500メートルに生育する。わたしたちがパロやティンプーの谷でみたのは,これとは種がちがうヒマラヤマツだった。こちらは標高2000メートルまでしかそだたないという。

 グミの木がたくさんはえている。あかい実をつけている。わたしたちは,なん粒かとってたべる。ドライバーたちは,枝ごとおって,わたしたちにくれる。わたしたちは,しばらくのあいだ,グミの枝といっしょに旅をする。グミの木は,ダンベリン・シンというようだ。

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ダンベリン・シン

 ヨトン・ラをこえて,ブムタン県にはいる。ブムタンは,ひろびろとした高原地帯である。盆地をかこむ山やまは,たおやかな稜線をかたちづくっている。ソバ畑やリンゴ園がみちぞいにつづく。ソバは栽培種である。野生種とはちがって,背丈がたかい。

 橋のたもとで,にぎやかなおまつりをやっている。これもヒンドゥーのおまつりだ。青やオレンジ色の粉をかぶったひとたちが,神さまの像をかついで川の水にはいる。むかしはこの像を川にながしたという。いまは環境保護のために,ただ水をかけてあらうだけだ。

 ある果樹園では,ナシがみのっている。こつぶだが,黄いろく色づいている。果樹園のもち主のおじいさんに話をつけて,いくらかわけてもらう。ドライバーたちは柵のなかにはいって,ナシの実をもぎとっては,ほいほいとくれる。あまみはあまりないけれど,水っぽくはない。

 みちばたの店で,ほしチーズをかった。チュルカムとよばれるもので,石みたいにかたい。さいころ状のチーズを20〜30個も糸にとおしてつなげたのが,天井からたくさんぶらさがっている。坂本さんはあまりすきではないというけれど,せっかくだからためしてみる。口にいれても味はほとんどしない。かたくてかめないから,ずっとなめている。そのうちやわらかくなってくる。ちょっとくせのある牛乳の味がする。予想していたよりも,ずっとうまい。

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チュルカムの束

 高原の旅はつづく。ツガやカラマツの林をゆく。ツガとモミの見わけかたを赤松さんが説明してくれる。いちばんかんたんなのは,松ぼっくりのつきかたをみることだ。ツガは上むき,モミは下むきについている。葉のきれこみのはいりかたもことなるが,こちらは判別がむつかしい。

 ブムタンはほんとに景色のいいところだ。信州の高原のような印象をうける。しかし,はださむい。冬になったら,心そこひえるのだろう。昼食をとった食堂ではストーブをたいていた。

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ブムタンの風景

「バスが谷におちた」

 ここからモンガルまでは,トゥムシン・ラという峠をこえてゆく。ブータン横断道路の最大の難所である。いや,峠ごえはそんなにおどろくほどのことはない。いままでにとおってきた峠とかわらない。お堂とマニ壁があって,たくさんのルンタとダルシン(どちらも経文旗)がはためいているだけである。お堂はまだ建設の途中らしくて,内部には木をくんでつくった足場がある。3基の仏像がお堂に鎮座している。まんなかのいちばんおおきなのは,ブータンに仏教をつたえたとされる聖人パドマサンバヴァ(グル・リンポチェ)の像である。

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トゥムシン・ラのルンタ

 峠からくだってゆくと,ブムタンとおなじようなひらけた谷があらわれた。黄色い花のさいた草地にウシが放牧されている。茶色や黒のほかに,ホルスタインらしいまだら模様のもいる。わきあがった雲のあいだから青空がのぞく。源氏の白旗みたいなダルシンが空につきだしている。

 わたしは,赤松さんとドマの話をする。ドマというのは,石灰をぬったキンマの葉でビンロウの実をくるんでつくる嗜好品で,これとおなじものは,インドや東南アジアにもひろく分布している。これをかむと,口のなかに唾液がまじった赤い汁がでてくる。地面にこの汁をはきだすと,そこに赤いしみができるという。わたしは,一どドマをためしてみたい。赤松さんは,

「そこの店でうってますよ」

という。わたしは赤松さんについてドマをかいにゆく。店のおばちゃんは,バケツの水からキンマの葉をとりだし,ビンロウの実をつつんで,わたしてくれる。わたしは,ドライバーにドマのたべかたをおそわる。葉っぱについた石灰をみて,ドルジ・ワンチュックさんはいう。

「こいつは危険だ」

 あんまり石灰がおおいと,刺激がつよすぎるようだ。白い粉をこそぎおとす。

 わたしと堀本君は,ドマを半分ずつにわけて,同時に口にいれる。葉っぱの青くささとにがみ。ビンロウの実はごつごつする。しばらく実をかみくだいていると,口のなかはつばだらけになる。つばは,のみこまないほうがいい。このさきのドライブのあいだ,ずっと口のなかにたもっておくのは,けっこうしんどいことだ。わたしは,あきらめてドマをはきだす。

 いよいよ難所にさしかかる。道路は舗装されているものの,でこぼこがおおく,幅はせまい。センターラインはひいてあるけれど,対向車がゆきちがうのはむつかしそうだ。きりたった崖のすぐそばをゆく。霧がでてきた。

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難所にさしかかる

 雨季のあいだ,このみちをとおるのは危険なことである。落石もある。土砂くずれもある。去年はここでバスが谷におちた。ガードレールがわりのコンクリート・ブロックがおいてあるけれど,あんなものは役にたちそうにない。

 滝がながれおちてくる。ちいさい滝。おおきい滝。滝つぼのしぶきが車の窓ガラスにとんでくる。こんどは沢が道路を分断している。ボレロは,エンジンをふかして沢に突入する。じゃぶじゃぶと水流をかきわけてはしる。

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車は水に突入する

 むかしよんだ探検記に,自動車をおして川をわたる写真があった。あれはアフガニスタンの山奥の話だった。1950年代のことである。おなじころ,ブータンはといえば,車がはしるなんてかんがえられなかった。中尾佐助は,徒歩でブータンを旅行したのだ。60年以上たったいまでは,この国の東西は道路でむすばれている。半世紀のあいだに,ブータンは秘境ではなくなったのかもしれない。

 危険な箇所はすぎた。モンガルの町へむかってくだってゆく。ササのしげみがある。バナナもはえている。数頭のウシの群れをひとがおう。棚田がみえてくる。道路は田んぼのあいだをとおる。かんたんな小屋が田のあぜに点在している。これらの小屋は,農繁期にはものおきと宿泊場所になるようだ。わたしたちは車からおりる。ここは,安藤さんがまいとし定点観測をしている場所だという。谷にむかって棚田はつづいている。あおい稲穂がずっとつづく。

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棚田の小屋

 うすぐらくなってきた。モンガルについたのは,午後7時半だった。一ど停電があったが,まもなく復旧した。ブータンにきてはじめての停電だった。

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もうすこしでモンガル

(つづく)